有形文化財の酒蔵
西山酒造場が保有する
国の登録有形文化財
代々続く丹波の酒蔵は、俳人・高浜虚子をはじめ多くの文人・画人が集う文化サロンとしても活用されていました。現在、西山酒造場では3つの建造物が国の登録有形文化財として登録されています。
西山酒造場のなりたち
1891年に建築された木造2階建て。店舗としても使われており、高浜虚子の俳句、小川芋銭の画なども飾られています。
西山酒造場は建物が文化財であるだけでなく、数多くの文人・画人との関わりの歴史そのものが貴重な文化財です。
西山酒造場の歴史
高浜虚子と西山酒造場の三代目蔵主「亮三」泊雲
高浜虚子は、日本の明治・大正・昭和の時代にわたって活躍した俳人。五七五のたった17文字の中に、「花鳥諷詠」「客観写生」を読み込む俳句の第一人者でした。西山酒造場の三代目蔵主「亮三」は、1902年に34歳で亡くなった正岡子規の辞世の句にいたく感激し、子規の弟分である高浜虚子を紹介されました。その後、二人は交流を重ね、高浜虚子の一番弟子となり、「泊雲」の俳号を名乗ります。東京と丹波、遠く離れた師匠と弟子は俳句を詠んでは送って添削を受けるというやりとりをしていました。
高浜虚子と西山酒造場の三代目蔵主「亮三」泊雲
西山酒造場を救った、俳人 高浜虚子
しかし、西山酒造場は末の弟の相場の失敗などで事業が立ち行かなくなります。その大ピンチを救ったのも高浜虚子でした。清酒の銘柄を「小鼓」と命名、「ここに美酒あり名づけて小鼓といふ」という句を詠みました。この句は今も母屋にあります。そして、販売方法も画期的。俳句雑誌「ホトトギス」で「小鼓」を大々的に宣伝するだけでなく、今で言う雑誌からの通信販売を行いました。俳句雑誌に掲載されたことで、新しい顧客も増え、さらに多くの文人墨客が丹波の西山酒造場を訪れるようになりました。
「ここに美酒あり名づけて小鼓といふ」この句は今も主屋に
日本画家 小川芋銭と泊雲の深い絆
「ホトトギス」をきっかけに「泊雲」と知り合った文人・画人は多く、小川芋銭もその一人です。当時、茨城県に住んでいた芋銭でしたが、たびたび丹波へ訪れるようになりました。西山酒造場の近くの石像寺にも長らく滞在し、丹波の人たちとも交流しています。さらに、芋銭の次女と泊雲の長男、芋銭の三男と泊雲の長女が結婚し、深い絆が生まれました。西山酒造場には、芋銭の残した画が数多く残っています。
日本画家 小川芋銭と泊雲
芸術家 綿貫宏介による「小鼓」新デザイン
西山酒造場五代目の「裕三」は、「小鼓」を進化させるべく、デザインを一新することを考えました。そのデザインを依頼したのが、無汸庵こと「綿貫宏介」。当時綿貫は芸術家で商業デザインなどは行っていませんでしたが、裕三の熱意にほだされ、ロゴだけでなく、ボトルそのもののデザインから包装紙までを一新。これまでの日本酒にはない鮮やかで深い味わいを表現したものとなっています。店内をよく見ると、蔵の表記や座布団にいたるまで、綿貫デザインで統一されています。
丹波の自然と、伝統的な酒造りの技術を継承しながら、
常に新しいものをとりいれていく。
代々受け継がれてきた芸術文化を
積極的に取り入れる感性、
これからも大切にしていきます。
令和三年度 文化財多言語解説整備事業