総務部員Iです。
今回は、小鼓と高浜虚子先生との関係をお話したいと思います。
今の社長で弊蔵は“5代目”なのですが、その先々代の“3代目”に西山泊雲がおりました。
この泊雲は、俳句に傾倒しており、非常に虚子先生とも親交が深かったのです。
以下泊雲の下りです。
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西山泊雲は(本名:亮三)は、明治10年4月3日 丹波市(旧・氷上郡)市島町の西山酒造場の長男として生まれました。
俳句に傾倒するに至ったのは、泊雲弟でホトトギスの俳人でもあった野村泊月の影響でした。
明治36年に泊月の紹介で高浜虚子に会い、俳句に没頭し、遂には弟の泊月と並び「丹波二泊」と称されるまでになりました。
家業の酒蔵は、大正4年に、虚子が 「ここに美酒あり 名づけて小鼓といふ」 と銘々、ラベルには虚子の直筆と小川千甕(おがわせんよう)のホトトギスの挿絵とでデザインし、俳句雑誌「ホトトギス」の発行所を通じて全国に売り出し、以来文人・歌人に親しまれるようになりました。
その後も泊雲は虚子に指導を仰ぎ、家業を疎かにすることなく俳句の道に没頭し 昭和19年9月15日68歳で亡くなりました。
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上記にあるように『小鼓』は、高浜虚子先生が名づけられました。
写真は、虚子先生の直筆です。
残念ながら詠んだ俳句の直筆はありません。これがあればなぁ・・・
小鼓と高浜虚子
丹波蔵元たより
2006.09.28